大隅での農ある暮らし
農業未経験者が無肥料、無農薬、不耕起栽培の野菜作り,稲作に取り組んで行きます。
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無肥料・無農薬・不耕起栽培の自然農を目指す新米農家です。
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おはんらにやった命
鹿児島市内の病院に近隣の方を送っていったので、その診察中、近くを市内観光。
ゆっくり城山の周りの史跡を巡るのは、遠い昔以来か。



桜島フェリーで渡る途中の錦江湾では多くの船が行き交う。




樹木に囲まれた遊歩道を上り詰めた城山展望台からの眺めはいい。
隣で観光客を引き連れたガイドさんの話を一緒に聞きながら納得!
展望台から歩いて15分ほどの西郷隆盛洞窟に向かう。




西南戦争最後の司令部。
明治10年9月24日、城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余、これを囲む政府軍は4万。
死を決した西郷は、夜明けを待って5日間すごしたこの洞窟をでた。
西南戦争は西郷を慕う私学校の生徒達が政府の挑発によって引き起こした暴動が始まり。
その首謀者の引渡しか全面戦争か、西郷の「おはんらにやった命」という一言で挙兵した。




城山洞窟を出てわずか300m、2発の銃弾が西郷の腰を大腿部を撃ち抜いた。
「晋どん、もうここらでよか」
別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされた。
7ヶ月もつづいた「西南の役」が終わったのだ。




西郷終焉の地前の踏切を渡り東へ、私学校跡の多数の弾痕が残る城壁は国道10号線沿い。
私学校後は、今は医療センターになっている(ここに来たのだが…)。
そのまま、南へ歩くと鶴丸城跡が続く。




薩摩は人をもって城となす。
鶴が翼を広げた形をしていることから鹿児島城は別名鶴丸城と呼ばれ、天守閣や層楼のない屋形つくりとか。それは、
「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想で、藩内の各所には兵農一致の郷土団が守る外城がめぐらされていたそうだ。
城内には、大河ドラマでも放送された天璋院(てんしょういん)像が鎮座し、
鹿児島県歴史資料センターとなっている。






さらに南へ歩くと県立図書館、市立美術館とつづき、西郷隆盛銅像が立つ。




銅像の前の中央公園を渡ると市電が通るショッピング街の天文館通りへと歩いて行ける。



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